川端康成の『千羽鶴』や立原正秋の『やぶつばき』などの小説に登場する茶室は、烟足軒(えんそくけん)と言います。もともとこの場所には、室町時代に佛日庵を再興した鶴隠周音(かくいんしゅういん)が建てた茶室があったと伝えられております。現在の建物は、東京府農工銀行の頭取などを務め銀行界の奇傑と称され、のちに政治家となった中山佐市(なかやまさいち)邸より、昭和初期に移築されたものです。四畳半下座床の本席に、玄関と水屋三畳が接続する造りで、出入り口として火燈形の茶道口と貴人口、躙口のほか、床脇の円窓を含めると五つの下地窓を開けてあります。天井一面の網代天井、下地窓の多様な材の用い方や、床脇の方立などに瀟洒な意匠が見られるのが特徴です。茶室の前には、鎌倉文士のひとり、作家の大佛次郎の夫人から贈られた垂れ桜が植えられています。
以前は、時宗公のご命日に合わせて毎月4日に茶会「四日会」が開かれておりましたが、現在は開催しておりません。
現在は本堂が建っている場所に、かつては不顧庵(ふこあん)という茶室がありました。作家の川端康成はこの茶室に寝泊まりをし、小説『千羽鶴』を書き上げました。不顧庵は、昭和9年(1934年)に建てられた書院に通ずる六畳台目下座床の席で、矩折に廻る一間の鞘の間から入るよう配置されていました。床は獅子垣窓を開けた台目床で、床前には六寸幅の長板が敷き込まれ、床柱は赤松、框は磨丸太でした。平成19年(2007年)に本堂建設工事の際に解体されましたが、同じ場所に茶室も作られ、今でも遠州流茶道のお稽古などで使われております。